ロシア旅行記
サンクトぺテルブルグ(昔の地名はレニングラードです)
華麗なエカテリーナ宮殿、大黒屋光太夫が謁見した大広間や琥珀の間が素晴らしかった
エストニアから陸路バスでロシアの国境に入りました。
一番楽しみにしていたサンクトぺテルブルグに向かってバスは田舎道をただ走ります。
広い道路は舗装もされておらず、酷いものでした。
途中国境近くのナルヴア城に立ち寄りましたが、かって繁栄を極めたハンザ貿易の街も
第2次世界大戦では焦土と化し、戦争のむなしさとこの国が辿ってきた歴史がわかるような気がしました
ただ荒涼としたお城が空しく建っていました。
ロシア入国に際して陸路の税関があります。
おびただしい大きなトラックや乗用車が税関の近くの道路に並んで通関を待っています。
国境では30台以上の大きなトラックが、通関出来るのを待っていました。
かなりの時間がかかるようです。おそらく昨日から待っている車もあるように思いました。
泊まり込みになるような場合お店もないこんな田舎で食事等どうするのでしょうか?
経済もこんな状況では停滞するのも、仕方がないように思いました。
私達のバスは今日中にサンクトペテルグルグに入らなければならないのに、何時間待たされるのかと思い
気が滅入りました。
その時バスの運転手が通関する時、税関の人に1人1ドルの賄賂を払えば比較的簡単に手続き出来ると提案され
我々全員が賛成し、32人が一人1ドルづつ払いましたが、前の観光バスが中々許可がおりず、それでも3時間位で通関出来ました
さすが共産国、堂々と税関が賄賂で通すとは。もしかして日本人だからかな。日本人は海外では行儀が良く、散財してくれるから
そして日本人そのものが外国では信用があるからかも。
今までの海外ではそんな経験がありませんから、びっくりするやら呆れるやら、まあ早く通してくれて助かりましたが。
我々はただの旅行ですが、何時も荷物を運ぶトラックの運転手さん等、予定も何もたてる事が出来ず諦めているのでしょうね。
ロシアの人達はまあ小さい頃からそんなものだと思って育っているから、日本人の感覚とは違うのでしょうか?
日本人からみたらストレスの塊になるような事、何でもないのでしょうか?
空港の税関ではそれはいくら何でも駄目で靴や上着も脱がされる厳しいものでした。
中国でも信じられない事がたくさんありましたが、本当に共産国は嫌ですね
自由にものが言える事、これこそが本当に幸せなんだと実感しました。
日本だけにいたら多分気もつかなかったと思います。
ロシアでは税関を通る時,入国の書類も書かねばならないし、旅行社に頼べば1人4200円かかるので自分で作成して出しました。
ビザ代9200円も最初に払っているのに。二重取りじゃないかと腹がたちました。
本当に余分な労力と頭も少々使わねばならないので面倒この上なし
やっとロシア国内に入りましたが、道は広くてもきちんと舗装されている訳ではなく、座席はクッションが悪く
お尻は痛くなるは国道にしては狭いものでした。
家一軒ない田舎道をひたすら走ります。
30分ほどしてやっと10軒にもみたない民家が見えてきました。
雪が降り−30度にもなるロシアで、日本の納屋のような粗末な家でどうして厳しいい冬を越せるのか、
お店らしきものは全くなく、見渡す限り何もない平野で、作物もほとんど植えてなくどのようにして
生活しているのか?皆で首をかしげていました。
ちなみに我々が行ったのは5月の末頃です。日本なら畑が青々としている時期ですよ
又30分位走ると同じような民家が見えて来ました。
そのような田舎の光景を何度か見ているうちに少しづづ街の様子が変わり始め、都会にだんだん近づいてきた事がわかりました
待ちに待ったロシア第2の都市サンクトぺテルブルグに到着しました
着いたのは夕方でしたが、妙に興奮した事覚えています。
ヨーロッパは何カ国も行っていますが、全然雰囲気が違います
何時も国境を超える時は超えると空気が違うのですが、ロシアはとにかく今までにない雰囲気でとにかく違うのです
サンクトペテルブルグは昔は湿地帯であったそうで水は絶対に飲んではいけないし、ミネラルウオータでもあまり飲まないようにと注意書きがしてあります。
明日はいよいよエカテリーナ宮殿です。
楽しみです
ピョートル大帝の夏の宮殿とお庭
ロシアのベルサイユと言われるピョートル大帝の夏の宮殿「ロシアの真珠」とも言われている宮澱
私はベルサイユのお庭よりこちらの方が素敵だと思いました。
ピョートル大帝がベルサイユに負けないようなお庭を創れと命じてつくられたお庭だそうです。
エカテリーナ宮殿正面 エカテリーナ宮殿の裏側
美人のロシア人ガイドさんと
血の教会(スパース・ナ・ブラヴィ大聖堂)
エカテリーナ宮殿
帝政ロシアがその財力を注ぎ全世界から取り寄せた278万点にのぼる、大英博物館や
ルーブル美術館にも劣らないと言われるコレクションが集められていました。
ただただ素晴らしいの一言につきます。
私はルーブル美術館に行った事がありますが、ロシアの方が私は良いと思いますが、ルーブルは
余りにも大きいので、ほんの一部見たぐらいでは比較は出来ませんね。
明日はモスクワです
楽しみです
夜のサンクトベルグ駅11時58分発の寝台列車の2名様個室利用でサンクトペテルブルグを離れ朝7時ちょうどにモスクワに到着しました。 個室寝台車内はとても綺麗でお土産まで用意してありました。
外国ではあまり電車に乗っていないので、いつも日本の電車のように外国の電車は正確にはダイどうり動かないと
良く言われているので、時間どうりに朝のモスクワに着いた時にはあてにしていなかったので、少しびっくりしました。
モスクワ観光が始まりました。
ノボテビッチ修道院です。
白鳥の湖を作曲した チャイコフスキーが この湖を見て曲を作ったそうです。
この修道院には悲しい物語があり、実際にあった話だそうで、ガイドさんが腹をたてながら説明 した所によると
時の皇帝が貴族の綺麗な娘さんと結婚して、わずか1年でお城にいた洗濯女と結婚したい為、
無理に離婚しこの修道院に生涯閉じ込めたそうで、ガイドが口汚くあの洗濯女がと 怒っていました。
顔もブスで、でぶっていて、何故そんな身分の低い女が良いのか理解出来ないと
自分の事のように口ぎたなく罵っていました。
そういえばスターリンの母親も洗濯女で亭主が働かず、そのわずかなお金まで巻き上げて、飲んだくれて
いたと何かの本で読んだ記憶があります。だから父親を邪険にしあのスターリンが母をとても大切にしたと。
何より貴族の娘に生まれ栄耀栄華に生きて来て皇妃にまでなったのに、わずか1年で身分の低い女にその座を蹴落とされ
生涯修道院ぐらしとは何ともお気の毒な生涯に同情する事しきりでした。
そんな暮らしを強制され何を神に祈るのでしょうか?
私なら修道院に入れられただけで3日で精神に異常をきたすでしょう。
生きていく上で自由を拘束される事は何よりも辛い事だと常々思っています。
赤の広場
写真で見ると、とても広く見えますが、実際にはそんなに広くなく、何時も写真で見ていたのと
違うのでびっくりしました。中国の天安門広場の何分の一の広さでした。
天安門広場は端から端まで行くと人の顔の識別はまず出来ないと思います。
時の大統領プーチンの官邸 ボリジョイサーカス正面
まず入り口に2人の守衛が立っていて、何かあれば即座に
ピストルを構えるような、怖くて側まで行けず、近くで見ていました 期待していましたが、これなら日本の木のした
すべての場所に当然のことながらカメラが配置されて サーカスの方がましでした
大ロシアの官邸にしては小さいものでした。 トイレも絶対数が足りずゴキブリがはいずり回り
建物もそんなに頑丈には見えませんでした。 不愉快この上なし
外務省のビルはこの何倍もあり、本当にプーチンはこの中に 2時間の観賞は殆んどうつらうつらでつまらない事
執務しているのかしらと疑問に思いましたが、警備が厳しいから 時間の無駄でした
居たのでしょう
グム百貨店 モスクワのデパート
日本のように専門店が少し加入しているのではなく、お店はすべて専門店で、驚いた事にトイレはすべて有料で
日本円で1回80円でした。
モスクワ大学へも行きましたが、そこも1回50円です。
日本なら何処へ行ってもこの場所でお金を取る所はありません
びっくりする事ばかりで、通路でアイスクリームを売っているおばさんにまとめてアイスクリームを買おうとしたら
毎日そのアイスクリーム それだけ売っているのに計算が出来ず、1個ずつお金を払いおつりは出せないのです。
計算が出来ないのか、オーナーが着服を警戒しているからなのか?これも日本人だったら計算が出来ない
店員はまず首でしょう。電卓を使用する事もないのでしょうね。
日本円ではなくロシアの紙幣で払っているのに。
細かいお金が無くて面倒だからと買わない人もいました。
そういえばニュージーランドのレストランでも、黒人のウエイトレスがビールの注文でまとめて払おうとしたら
日本旅行の添乗員が飛んできて計算出来ないから、面倒でも1本ずつ払って欲しいと言いに来ました
ちなみにその時は日本円でした。ロシアはルーブルでの話です
国が変わるとある意味面白いですね。
グム百貨店内部
大きな国なのにデパートの中がごちゃごちゃでモスクワ一のデパートとは到底思えません
この通路の一角にアイスクリーム売り場がありました
もう一つびっくりした事、それは武器庫と言われるビルの中を見せられた事です。
どうして共産国が武器庫の武器を見せるのか不思議でしたが、中に入って本当にびっくりしました。
とにかく財宝の山です。言葉で何と言ったらいいのか表現できないのですが、絶句しました。
これだけの財宝があれば売る事は出来ないのでしょうが、これを売れば国が破たんする事無いのにと
ため息をつきましたあんな財宝は勿論見た事ありませんが、
ロシアの皇帝達が如何にすごい生活をしていたか、その為人民が
塗炭の苦しみを味わわされたか、何となくわかるような気がします。
そして革命が起きた事も当然だと思いました
赤の広場入口 ロシア外務省
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